お空にいってしまった、1人目の子の話

29歳結婚1年目で子どもを授かり、システィックヒグローマと診断された子との想い出の記録

決断の時

2018年5月15日

21w3d

 

大学病院から紹介された子ども医療センターで、改めて胎児心エコーを受けに、夫と向かった。

 

結論は変わらず、赤ちゃんはとても厳しい状況に置かれていて、先生からもお腹の中で亡くなってしまう可能性が高いと、はっきり言われた。

 

そして、もし諦める選択をするならば、妊娠週数的に、2〜3日以内に入院して分娩を行わなくてはいけない、と。

 

ただ、子ども医療センターでは、すでにベッドが埋まってしまっていて、他の病院を探さなくてはいけない。

 

今後どうするかの決断を迫られて、一度、夫と2人で考える時間をもらうことにした。

 

病室を出たら、わたしは堪えていたものが溢れてしまった。

 

嗚咽が抑えられなくて、苦しいほど涙が流れて、泣くのを堪え切れなかったのは、生きてきたなかでこの時が初めてだった。

 

赤ちゃんを諦める、という選択肢を現実的に考えなきゃと思った瞬間、涙が止まらなかった。

 

まさか本当に自分がこんな選択を迫られることになるなんて。


苦しくて苦しくて仕方なかった…。

 

でも、夫が事前に中絶に関することも調べていて、落ち着いて話を聞くうちに、わたしも少し冷静になれた。

 

わたし自身が納得できる選択をするためには、他に何を知りたいか、について2人で考えてから、再度病室に入った。

 

中絶したら母体の身体への影響は?

赤ちゃんがお腹の中で亡くなった場合、出産までの流れは?お腹の赤ちゃんはどうなっちゃうの?

 

先生に質問して話を聞いて、いろんなことがやっと現実のものとして受け入れるようになれた気がした。

 

その日に焦って産める病院を探して、色んなリスクを背負いながら中絶するよりは、自然の流れに任せようと思った。

 

より詳しく診るために検査入院もできると言われたけど、結果はきっと今のままでは変わらないことを何となく感じたから、すぐに入院することもしない。

 

まずは自然に、経過を見守りたいと思った。

 

そのときのわたしは、

赤ちゃんの頑張りを信じたい気持ちと、無理かもしれないの気持ちが半々で、割と冷静に受け止めることができていた。

 

ただ、少し心配していたのは、亡くなってしまった場合の産休後の会社や周囲への説明の仕方と、順調に育ってくれた場合の親としてしっかり心臓病の子どもを守って育てられるのか、ということ。

 

でも、後者はこれからの経過とともに考えていこう、と2人で話した。

 

その日の検診で新たにわかった赤ちゃんのこと。

心拍が通常は160位だけど、200近くあって、恐らく一生懸命全身に血液を回そうとしているということ、

ただ、たまに心拍がゆっくりになり、赤ちゃんの体力的に、早く心臓を動かし続けることができないのだろう、ということ。

 

赤ちゃんは小さい身体ながら、一生懸命生きようと頑張ってる。

 

お腹の子に会いたい。

 

とにかくそのまま大きくなってくれることを願っていた。